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2010/10/08

「白い恋人たち」のアルペンスキーは、ウィリー・ボグナーが撮影した

                                                                            

「男と女」で鮮烈に世界デビューした、クロード・ルルーシュ監督と作曲家フランシス・レイの名声を決定的したのが、2年後、1968年の「白い恋人たち」だ。

白い恋人たち

それにしても、「白い恋人たち」という気恥ずかしい邦題を臆面もなくつけたものだ、と感心する。えらい。原題は、「13 Jours en France (フランスの13日)」で、「恋人」も「白い」もまったく出てこない。しかし、邦題がこの照れくさい「白い恋人たち」だったからこそ、日本では、映画もテーマ曲も爆発的にヒットした。「フランスの13日」では、血生臭いクーデターのドキュメンタリーか、ホラーのようだ。音楽も、タイトルが「フランスの13日のテーマ」では売れない。

この邦題をつけた人は、じつに賢い。みごとだ。映画の宣伝に精通している人にちがいない。いったい誰なんだろう? と、むかしから気になっていた。きっと淀川長治さんとか、水野晴郎さんとか、小森和子さんのような、映画を溺愛し、知りつくしている人だろう。

じつは、この「白い恋人たち」という、気恥ずかしくも奇妙な邦題が、この映画の本質をついているのだ。映画は、フランスのグルノーブルで開催された冬季オリンピックの公式記録映画だ。ドラマ、劇映画ではない。ドキュメンタリーだ。

「白い恋人たち」という、ちょっと気恥ずかしい造語が、冬の競技にうちこむオリンピック選手たちの、真摯な姿をみごとに表現していた。それを日本の客は、映画をみるまえから直感で気づいた。

当時は、いまのようにオリンピックが肥大し、商業化されてない。まして冬季オリンピックは、まだ手作り感のある、素朴で純なアマチュア・スポーツ大会の雰囲気があった。選手の姿も、聖火リレーの一般の人たちも、ボタンティアで手伝う人たちも、観客も、みんな美しいのだ。まさに、「白い恋人たち」の言葉にふさわしい。

そしてなにより、この映画が強烈に斬新だったのは、オリンピックの公式の記録映画なのに、いっさいナレーションがないことだ。解説はもちろん、オーバーに興奮したスポーツ・アナウンサーのウソくさい声もない。映像とフランシス・レイの音楽だけ。そのクロード・ルルーシュの監督した映像がじつに美しい。また、フランシス・レイの音楽は、感傷的で、せつなく、美しいのだ。

   映画「白い恋人たち」のテーマ http://www.youtube.com/watch?v=c1yBFsyXfJI

Photo

この映画でもっとも驚きだったのは、アルペン・スキー競技で、猛烈なスピードで滑降する選手を、カメラマンがぴったりついて追いかける映像だ。この映画のあとはよくある映像だが、「白い恋人たち」が最初だ。わたしだけでない、世界じゅうを驚かせたカメラワークだ。

カメラマンは、ストックももたず、カメラを両手でもって撮影しながら、選手にぴったりついて滑り降りているのだ。カメラは、いまのビデオのハンディーなやつじゃない。35ミリ・フィルムのムーヴィー・カメラだ。重く、でかい。「白い恋人たち」のアルペンスキーを撮ってるカメラマンのスキー・テクニックは、オリンピック出場選手よりはるかに上なわけだ。

この衝撃的なアルペンスキー・シーンを撮影したのが、ドイツ人のウィリー・ボグナーJr.だ。スキー・カメラマンをやるまえは、ドイツのアルペン・スキーのチャンピオンなのだ。父親もノルディックスキーの選手で、ワールドカップの銀、銅メダリスト、1936年のオリンピックでは6位になっている。

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父親のウィリー・ボグナーSr.が、1940年代にデザインしたスキー・ウエアー。

父親のウィリー・ボグナーSr.は、スキー・ウエアーのデザイナーでもあった。ウインター・スポーツのファッションメーカー、Bogner社を設立したのだ。ヨーロッパのスター女優たちがボグナーのスキー・ウエアーを愛用した。オリンピックのドイツ・チームとアメリカ・チームが、ボグナーのデザインしたウエアーを着た。

その息子、「白い恋人たち」のスキー・シーンを撮影したウィリー・ボグナーJr.は、アルペンスキーの現役選手を引退するまで世界じゅうを転戦し、300戦して、なんと70勝している。オリンピックは、2回、1960年のアメリカ・スコーバレー大会と1964年のオーストリア・インスブルック大会に、東西統一ドイツ代表として出場している。

(当時ドイツは、ソ連支配下の共産主義国家、東ドイツと、自由主義陣営の西ドイツに分かれていた。オリンピックのときだけ、統一ドイツとして、ひとつのチームで出場した。分断国家のドイツ人にとって、オリンピックはまさに“平和の祭典”だったのだ)

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ウィリー・ボグナーのムーヴィー・カメラのテクニックと、映像作家としてのセンスは、スポーツ選手の趣味の域ではない。「白い恋人たち」の撮影に参加するまえの1964年、すでにドイツでスキー映画を自ら制作している。制作、監督、脚本、撮影、そして出演だ。
      
  ウィリー・ボグナー制作 Skifaszination1964 http://www.youtube.com/watch?v=fFxQ9sUIHPE

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「白い恋人たち」の制作チームに参加したあと、ウィリー・ボグナーは、父親が設立したBogner社を引継ぎ、スキー・ウエアーはもちろん、婦人服からバッグ、革製品、サングラス、香水までも制作販売している。そして、スキーを中心にしたスポーツ映像作品の制作もつづけている。ヨーロッパ、アメリカのBogner 直営店舗は、今年も増えた。

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   ウィリー・ボグナー White Magic http://www.youtube.com/watch?v=s6yCZ5cvEpQ&NR=1
   ウィリー・ボグナー自身が語るプロフィール(ドイツ語) http://www.youtube.com/watch?v=zMC3vbfaj3w&feature=related

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こんな感じのファッションがウィリー・ボグナーのブランド。SONIA BOGNER は、奥さんのソニアさんがデザインした婦人服ブランド。下のBogner.com をみると今年の商品がわかる。通販で買うこともできる。

  Bogner.com  http://www.bogner.com/#!/en

超一流のスキー選手から転身して、世界的なスキーカメラマンで映像作家、次はファッション・デザイナー、そして有能な経営者で、大富豪……ひとつのことに抜きんでるだけじゃない、才能豊かな人がいるものだ。

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ソニア・ボグナーとウィリー・ボグナー。

                

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わたしは、映画「白い恋人たち」を、1968年(昭和43年)の封切りのとき、有楽町の映画館の大スクリーンでみた。わたしは、札幌の大学に籍を残したまま東京にでてきて、代々木にあった日ソ学院に通っていた。ロシア語の専門校だ。

映画好きの兄が、大学を卒業して東京で働いていた。その兄に、映画はどこでみても同じ入場料だ、せっかく東京にいるんだ、封切の映画は、日本で一番大きくて綺麗な映画館でみなくちゃな、と、誘われて有楽町で「白い恋人たち」をみたのだ。帰りにラーメンまでごちそうになった。

大スクリーンでみる「白い恋人たち」は、オープニングの聖火リレーのシーンから、すこし震えがきて髪の毛が逆立つような感動があった。フランシス・レイの音楽がじつに美しく効果的だった。フランス人てのは、粋な映画をつくるもんだ、と感心した。映画が終わると、有楽町の映画館では、大きな拍手がわき起こった。

40年ぶりに、2008年のカンヌ映画祭でオープニングムービーとして上映され、観客から大絶賛されたという。わたしも、大きな映画館の大画面で、もう一度みたいと思う。

コメント

初めまして(^0^)ノ
サッポロ50年生まれの者です。
録画していたBSの「音楽のある風景」の、「世界のムード音楽」を先程見ていました。
で、「白い恋人」を見てハタと思いました。私は石屋製菓の白い恋人が発売されて、三越に大行列が出来てたのを覚えています。
で、石屋製菓はこの映画をパクッタのか?映画の原題はなんだったのか?と検索しててここに来ました(〃^ー゚)
石屋製菓の創始者が「たまたまスキー帰りに呟いた言葉」となっていましたが、この映画の後ですよね。。^^;
スキーカメラマンの事も初めてしりました。
有楽町・・今も行く度に、高校の修学旅行時・映画二人の銀座・20代で行った時を思い出してますが、ガード下は同じく汚いままですね。^m^
文章、とても楽しかったです。

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